東京都心散策(37)
 ― 泉岳寺と増上寺、東京タワー ― 

Walking in Tokyo No.37  -2016.09.17-

- Visiting Two Famous Temples - Sengakuji and Zojoji - and Tokyo Tower

Part 1:泉岳寺

土曜日に、久しぶりにカメラを持って都心を散策した。
どこに行こうかと考えたが、今回は品川の方から東京駅方面へ向かってみることにした。
ということで、一旦横浜まで行って京急に乗り換えて、終点の泉岳寺駅 (品川の一つ先の駅) で降り、そこから、駅名にもなっている泉岳寺に行ってみることにした。

泉岳寺については名前を知っている位で、詳しいことはよく知らないので、後でホームページを見てみた。それによると、泉岳寺は慶長17年 (1612年) に門庵宗関 (もんなんそうかん) 和尚 (今川義元の孫) を拝請して徳川家康が外桜田に創立した曹洞宗のお寺だそうです。その後、寛永18年 (1641年) の寛永の大火によって焼失したのを機に、現在の高輪の地に移転してきたのだそうです。
また、一般には赤穂浪士のお墓があることでも有名です。


中門

山門


境内には、赤穂の国家老で
討ち入りの指導者であった
大石内蔵助吉雄の銅像があります。

山門の後側には大きな松の木があります。



本堂には、ご本尊である釈迦如来の他に、曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である摩利支天 (秘仏) などが納められているそうです。


本堂

本堂正面の左右の柱には、獅子と象の彫刻が施されています。


獅子と象 (左側)

獅子と象 (右側)


澤木興道老師像

赤穂義士墓地へと続く通路

瑤池梅は、義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したものだそうです。
また、血染めの石と血染めの梅は、浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石だそうです。


瑤池梅

血染めの石

首洗い井戸。この井戸は、義士が討ち入りを成就後、吉良上野介の首をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれているそうです。


首洗い井戸

赤穂義士墓地を一巡りしてから (写真は撮らなかったけど) 、泉岳寺をあとにして、駅に戻ることにした。
この後は、地下鉄で浜松町へ。


Part 2:増上寺

浜松町で駅を降りて、近くにある増上寺に行ってみることにした。

増上寺は、徳川将軍家と深い関わりのある浄土宗のお寺であることは有名だが、それ位しか知らないので、ホームページで調べてみた。それによると、
「増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。明徳四年 (1393年) 、浄土宗第八祖酉誉聖聰 (ゆうよしょうそう) 上人によって、江戸貝塚 (現在の千代田区平河町付近) の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。その後、1470 (文明2) 年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました (天正十八年、1590年) 。慶長三年 (1598年) には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。」
ということだそうだ。


大門


大門のある交差点には
こんなレリーフがあります

反対側は広重の浮世絵になっています

三解脱門 (三門) とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことで、上層部 (楼上) には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されているそうです。


三解脱門 (三門)

大殿 (だいでん:本堂)。ご本尊は、阿弥陀如来 (室町期製作) で、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られているそうです。


大殿

大殿と東京タワー

大殿に行く前に、境内を少し散策してみることにした。


聖観世音菩薩像

仏足石


魚供養之碑

ブッシュ槙 (コウヤマキ) は、米国第41代ブッシュ大統領 (パパ・ブッシュの方です) が副大統領時代に来日し、増上寺に参詣したのを記念して植えられたものだそうです。


ブッシュ槙 (コウヤマキ)

詠唱発祥の地の碑

鐘楼堂は、寛永10年 (1633) 年の建立ですが、現在の鐘楼堂ほ戦後に再建されたものだそうです。鐘楼堂に収められている大梵鐘は、東日本最大級で、あまりの大きさに7回の鋳造を経て完成したもので、江戸三大名鐘の一つに数えられているそうです。


鐘楼堂

大梵鐘

この後、階段を上っていよいよ大殿へ。


大殿

大殿から浜松町方面を望む

大殿から浜松町方面を望むと、現在はビルが立ち並んでいますが、江戸時代には江戸湾を望むことができたそうです。

大殿の左側にあるのは、光摂殿 (こうしょうでん) という建物で、講堂や大広間になっているそうです。平成12 (2000) 年完成という比較的新しい建物です。大殿の右側にあるのは安国殿という建物です。


光摂殿

安国殿

この後は、徳川将軍家墓所へ。


墓所の入口

入口を入ったところには、風車が供えられたおびただしい数のお地蔵さんが並んでいます。風車は何のために供えられているんだろう?







入って左側のさらに奥の方まで
お地蔵さんの列が続いています。
(右の写真)



徳川家霊廟



四菩薩像

この後は、境内内のまだ見ていないところへ。

経蔵には家康公が増上寺に寄進した宋版、元版、高麗版の各大蔵経が収蔵されていて、これは国の重要文化財に指定されているそうです。ただ、この日は内部は公開されておらず、中には入れませんでした。


経蔵

経蔵の隣には慈雲閣という御堂があります

慈雲閣のそばには「黒門」と呼ばれる古びた門があります。慶安年間 (1648~1652年) 、三代将軍家光によっての寄進・建立されたものだそうです。


黒門

三解脱門の右側には、時代劇でおなじみの町火消し「め組」の供養碑があります。さらに、め組の供養碑の奥には「熊野神社」があります。増上寺の熊野神社の「熊野」は「くまの」ではなく「ゆや」と読むそうです。


「め組」の供養碑

熊野神社

Part 3:東京タワー

増上寺の中もだいたいひと通り散策したことだし、ついでに東京タワーの方にも行ってみることにした。


下から見上げた東京タワー

東京タワーの側に、森林のような
公園があるとは知りませんでした


森林の中を散策しようかとも思ったが、さすがに歩き疲れてきたし、喉も渇いてきたので、ビールでも飲もうかと思って駅の方まで戻ることにした。

おわり。