Part 1:福岡城跡 ― 福岡城に梅の花が咲いていた
所用で福岡に戻っていたが、この日は時間ができたので、福岡市内を散策することにした。木曜、金曜と天気がよく、この時期にしては暖かかったので、博多駅から天神まで歩いてみることにした。天神まで歩いてきたところで、気持ちがいいので、ついでに福岡城跡まで足をのばしてみることにした。
福岡城跡について中を散策していたら、梅の木にはつぼみがあることに気が付いた。この暖かさだし、咲いているのはないかと辺りを探してみたら、しきりに写真を撮っている人がいる1本の木が目にとまった。もしかしたらと思いその場所に行ってみると、梅の花がいくつか咲いていた。周りには何本も梅の木が植えられているが、花が咲いているのはこの木だけだった。
何の木か分からないけど (木の名前は詳しくないもので・・・) 小さな赤い木の実がいっぱいついている木も見つけた。
その後、城内を散策していたら、低木の間を歩き回っている小鳥を見かけた。スズメのようでスズメではないような (羽根に縞模様がない) 。
小さな赤い木の実をいっぱいつけた木
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福岡城内で見かけた小鳥
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Part 2:天神:警固神社
その後はお城の裏側から降りて、けやき通り (国体道路) を歩いて天神へ。天神の西鉄福岡 (天神) 駅の近くまできたところで、警固神社が目についたので、行ってみることにした。警固神社は西鉄福岡 (天神) 駅の隣にあり、林立する都会のビルの谷間にあるのだ。子供の頃からここに神社があるのは知っていたけど、中に入るのは初めてのような気がする。
大鳥居 背景が明るすぎて鳥居が 暗く写ってしまいました・・・。
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石柱にしめ縄が渡されている門のようなもの (名前が分からなかった)。 後ろに見えるのは福岡三越(西鉄福岡天神駅)
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神門 (というそうだ)。奥に見えるのは拝殿。
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拝殿を横から見たところ
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拝殿の裏側から福岡三越のビルを見る。
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警固神社については名前と場所を知っているだけで、神社の成り立ちなどはぜんぜん知らないのでネットで調べてみた。それによると、
仲哀天皇9年 (西暦200年) 、神功皇后による三韓征伐のとき、皇后の船団を守護し勝利に導いたとされる警固大神を、現在の福岡城本丸周辺 (鴻臚館跡のあるところ) に祀ったのが始まりとされている。その後、慶長6年 (1601年) に黒田長政によって、福岡城築城の際に、下警固村 (現在の福岡市中央区天神周辺) に移され、慶長13年 (1608年) に現在の場所に社殿が造営された。
祭神は神直日神 (かんなのびのかみ) 、大直日神 (おおなおびのかみ) 、八十禍津日神 (やそまがつひのかみ) の警固大神で、警固の地名は、鴻臚館近くに置かれた大宰府の防衛施設警固所に由来する。
福岡鎮守の神、福岡藩第二代藩主・黒田忠之の産神として、歴代藩主の崇敬の深かった神社でもある。
厄払いの神様として、病気や災厄を防ぐのにご利益があるとされる。
ということだそうだ。
警固神社のとなりに警固公園があるのだが、そこでバイオリンを弾く全裸の天使 (かな?羽根があるので) のブロンズ像を見つけた。この像は中村晋也作 「春を奏でる」 という作品だそうだ。
中村晋也作 「春を奏でる」
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このあとは近くで一休み。携帯の歩数計を調べたら、今日は10km近く歩いていた。
おわり。