福岡市内散策(17) - 博多駅前のイルミネーション / 秋の博多 ~ 天神 - |
所用で久しぶりに福岡に帰省した。
福岡に戻る当日、飛行機の時間を完全に勘違いしてしまって、羽田空港に着いた時にはすでに搭乗手続きが締め切られていた。急いで窓口に行って事情を説明したら、何とか次の便に変更してもらえた(ほっ!JALさん、ありがとうございました)。だが、次の便も飛行機の羽田への到着が大幅に遅れていて、結局1時間遅れで出発となった。
今回は、初日は高校時代の友人と、翌日はかつての仕事仲間と、二日連続で飲み会があり、そのあとは実家の修理ととなかなか忙しかった。
最終日の前は福岡市内で一泊するため博多駅前のホテルへ。チェックインして荷物を部屋に置いてから食事をするため博多駅に行ったら、駅前のイルミネーションが綺麗だったので、とりあえず写真を撮っておくことに。
最終日の午前中、久しぶりに福岡市内を散策した(今回は一眼レフカメラは持ってこなかったので、スマホで写真を撮った)。
ホテルを出て、一旦博多駅に行ってコインロッカーに荷物を預けた後、どこへ行こうかと考えながら歩いていたら、「博多千年門」の案内板が目に止まった。ここには何年か前に行ったことがあるが、秋のこの時期ではなかったので、久しぶりに行ってみることにした。
博多千年門をくぐると「承天寺通り」の様子は一変し、両側にお寺がある遊歩道になっていて、いかにも博多という風情の街並みになる。
寶聚庵(ほうしゅうあん)は西応3年(1290)に創建。寶覚堪照禅師によって開山されたお寺で、博多大空襲で焼失したが、昭和61年(1986)に再建されたもので、承天寺の塔頭寺院だそうだ。
この後は、承天寺の境内へ。
承天寺は臨済宗東福寺派のお寺で、鎌倉時代の仁治3年 (1242) 、博多に住む宋人 (中国人) 貿易商の護国明が、宋に留学していた聖一国師を招いて開山された。聖一国師は宋から 「うどん」、「そば」、「饅頭」 の製法を持ち帰って広めた人だそうで、境内には、「饂飩・蕎麦発祥の地の碑」、「御饅頭所の碑」 がある(前にも写真に撮ったので、今回はあえて撮らなかった)。
下の写真は、本堂(かな?)前の枯山水と紅葉が美しい庭園。ただし、立ち入り禁止だったので、門のところから撮った。
承天寺を出た後は、近くにある聖福寺へ。
聖福寺は建久6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺だそうだ。
興禅護国の石碑は、福岡市出身で第32代内閣総理大臣を務めた広田弘毅(1870 - 1948)が、聖福寺に贈るために書いたものだそうだ。
このあと境内をあちこち巡ってみたが、どこも入れないようだったので、聖福寺を後にして、市内をあちこち歩き回っていたら、天神まで来てしまった。とりあえずアクロス福岡とその前にある天神中央公園で一休みすることに。アクロス福岡の階段上の壁面の樹々や公園内の樹々も色づいている。
一休みした後は天神から散策しながら博多駅方面へ。
こちらはビルの谷間にひっそりと佇む「竜宮寺」。このお寺は浄土宗のお寺で、開山は谷阿上人。当初は袖の湊の海辺にあり浮御堂と称していたが、貞応元年(1222)に海中より人魚が出現した際に、その人魚を寺内に埋葬したことにちなんで寺名を龍宮寺と改称したそうだ。
萬行寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、亨禄2年(1529)七里隼人が蓮如上人の命により建てたものだそうだ。
お昼近くになったので、博多駅に戻ってコインロッカーに預けたスーツケースを取り出して、福岡空港へ。
帰りの便はJALが新しく導入したエアバスA350だ。実は行きの便もA350だったんだが、次の便に乗る羽目になったので、A350には乗れなかったのだ(行きの便はB777だった)。
客席には全席モニターが付いていて、映画や音楽、ニュースのほか、機体に取り付けられたカメラの映像も見られる。映像は前方と後方(垂直尾翼)からの2箇所が切り替えられるようになっていて、後方からの映像は見ものだ。