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東京都心散策(28)
- 小石川後楽園 -
Walking in Tokyo No.28 -2015.03.28-
- Koishikawa Korakuen Gardens -
Part 1:今年の桜(2015)
都心まで今年の桜の写真を撮りに行ってきた。
今年はどこに行こうかとネットで桜の開花状況を調べたら、小石川後楽園は見頃だというので、今回はここに行ってみることにした。
小石川後楽園というと東京ドームのそばにある庭園位の知識しかないので、少し調べてみた。
今から約400年前の江戸時代の初期、水戸徳川家の祖である徳川頼房によって、江戸の中屋敷 (後に上屋敷となる) の庭として造られ、その後、二代目藩主の徳川光圀の代に完成した庭園だそうだ。「後楽園」という名前の由来は、光圀が造園に際し、明の儒学者・朱舜水の意見を取り入れて、中国の教え「 (士はまさに) 天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から名付けられたそうだ。
庭園は池を中心にして「回遊式築山泉水庭園」という様式になっていて、中国の風物を取り入れた景観の他、各地の景勝地を模した景観を表現したものになっているそうだ。
リーフレット (表)
リーフレット (裏) の園内マップ
さて、飯田橋駅から外堀通りを歩いていったのだが、どこから入ればよく分からなかったので、とりあえず東京ドーム近くの入口から庭園の方に行ってみたら、門 (東門) が閉まっていた。案内板を見たら、入口は反対側のようだ。ということで、庭園の閉沿いに写真をとりながら歩いて行ったら、途中で行列ができていた。どうやら入口から入るにはこの列に並ぶ必要がありそうだったので、最後尾に並ぶことにした。
東門 (閉まっていました)
石標柱
説明板
塀沿いの桜と近くのビル
木の幹から小っちゃな枝が
でて花が咲いていた
ワビスケ (椿の一種) とハト
ワビスケの花
列に並んでしばらくして (20分位だったか?) 、やっと門から敷地の中に入って、また少し待って券売所でチケットを買って中に入れた。中ではあちこちにある桜の木に大勢の人が群がって写真を撮っている。とりあえず、真ん中の大きな池 (大泉水) の周りを中心に、写真を撮りながら、あちこち散策してみることにした。
池の畔から対岸の桜を見る
池に映った逆さ桜
枝垂桜
渡月橋近くの桜
渡月橋近くの桜
(左の桜を別の場所から撮った写真です)
上の写真は、西日を受けて木々の葉っぱが黄色く色づいて見えて、まるで黄葉の季節に桜が咲いているように見えます。
Part 2:Other Photos
Part 1 は桜の花の写真が中心だったが、Part 2 では桜以外の写真だ。
中央の大きな池 (大泉水) の中にある石の上に佇む白鷺 (かな?) と、その前をすいすいと泳ぐ2羽のカモ。
池の端に架かる橋から。橋に近づいてきたカモと水面近くを泳ぐ大きなコイ。
この東屋は何だろうと思ったら、
休憩所だった。
裏からみたところ。
赤門 (工事中だった) の近くにある祠。
この井戸はなんだったっけ?
ツバキ (かな?)
このピンクの花は何?
東京ドームではプロ野球の試合が行われていて、歓声とアナウンスが聞こえてきた (巨人 対 DeNA の試合で、DeNA が勝ったようだ)。
東京ドームと後楽園遊園地の
ジェットコースターと観覧車。
藤田東湖護母致命の記念碑
藤田東湖 (ふじたとうこ) は幕末の水戸藩士で、水戸藤田派の学者として幕末の志士たちに影響を及ぼしたそうです。水戸藩江戸上屋敷で安政の大地震に遭い、一度は脱出するも、火鉢の火を心配した母が屋敷内に引き返したため救い出そうとしたが、その際鴨居が落下してきたため、肩で鴨居を支えて何とか母を脱出させたが、自身は力尽きて下敷きとなって圧死したといわれています。
この石はなんだったっけ?
この石もなんだったっけ?
石碑
池に映ったビル
石の上のカメ。よく見たらもう一匹いて、
手前のカメの横から頭だけ突き出ていた。
池のほとりの松の木
陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑
園内にある小さな滝
園内を流れる渓流
木曽山は、もとは古木が空をおおって昼なお暗く、渓流に沿った様子が木曽路を偲ばせる。またシュロが多くあったことから棕櫚山ともいうそうだ。
木曽山
大泉水の中ほどにある蓬莱島 (ほうらいじま)
徳大寺石
涵徳亭 (かんとくてい) の庭の灯篭
屏風岩
大堰川に架かる通天橋 (つうてんきょう) は京都・東山東福寺の「通天橋」にならい、大堰川の渓流に朱塗りの紅橋をかけたのだそうだ。
通天橋
園内を大体一回りしたところで、歩き疲れてきたし、陽も傾いてきたので、そろそろ帰ることにした。
出入口の近くに
梅がまだ咲いていた。
西門
おわり。