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東京都心散策(22)
- 大手町 / 皇居東御苑 -
Walking in Tokyo No.22 -2014.02.22-
- Otemachi / East Gardens of the Imperial Palace -
Part 1: 大手町
先週、先々週と2週連続で週末は大雪だったが、土曜日は朝からいい天気だったので、カメラを持って都心に出かけた。どこに行こうかと考えたが、もう梅が咲いている頃なので、とりあえず皇居東御苑の方に行ってみることにした。
まずは、東京駅から大手町駅辺りの界隈を写真を撮りながら少し散策して、それから皇居の方へ行くことにした。
さわり大黒 (流政之作)
三菱東京UFJ銀行が入っているビルの角で見つけました。表面のところどころがツルツルになっているのは、みんながさわっているからかな?
大手町野村ビル
歴史を感じさせる低層階のうえに現代的な高層ビルが乗っかっているようなビルです。調べたところ、このビルは昭和7年 (1932) に日清生命館として竣工し、平成6年 (1994) に下層階の外壁だけを残し高層化されたそうです。
さわり大黒
大手町野村ビル
大手町タワーの前を歩いていたら、ビルの横に林のようになっているところが目に入り、ちょっと中に入ってみることにした。
ビルの横の林
地階から地上に
盛り上がっている部分
その林の中で見つけたアート作品
(作品名はわかりません)
倒壊したワールドトレードセンターの鋼材
(ニューヨーク市消防局から
寄贈されたものだそうです)
整然と並べられた鉢植え
大手町駅辺りの界隈をチョットだけ散策した後は、皇居東御苑へ。
Part 2: 皇居東御苑:大手門~本丸跡
大手門から中に入り、写真を撮りながら中を本丸跡の方に散策していった。
大手門渡櫓
旧大手門渡櫓の鯱
三の丸尚蔵館前庭の松の木
この日は休館で、中には入れませんでした。
旧大手門渡櫓の鯱は、1945年 (昭和20) 4月に戦災で焼失した旧大手門の渡櫓の屋根に飾られていた鯱で、現在の大手門渡櫓は1968年 (昭和43) に再建されたものだそうだ。
同心番所と百人番所。
同心番所は江戸城に登城する大名の供の監視をする同心の詰所だった所で、百人番所では、鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で警備にあたっていて、各組にはそれぞれ100人の同心が配属されていたそうだ。
同心番所
百人番所
皇居正門石橋旧飾電燈
本丸跡広場に立っている松の木
早咲きの桜も咲いていました。
石のオブジェ?
ツバキ (かな?) も咲いていた。
天主台前の本丸跡の広場
本当に広々としています。
天守台
橙 (かな?) の木
実がたくさんなっていました。
Part 3: 皇居東御苑で梅の花観賞
天守台から梅林坂の方に歩いて行ったら、やっと梅の木を見つけた。梅の花は満開というわけではないけど、大分咲いていた。
白梅と後方の紅梅
梅林坂の麓の地面にはまだ雪が残っているけど、梅は咲いていた。
坂の麓の白梅
こちらは紅梅
梅の木の周りで写真を撮っていたら、そろそろ閉園の時間だというアナウンスが流れたので、大手門の方へ。
諏訪の茶屋は江戸時代には現在の吹上御苑近くにあり、その後、現在地に移築されましたものだそうだ。数奇屋風の書院茶室様式というそうだ。
諏訪の茶屋 (1)
諏訪の茶屋 (2)
諏訪の茶屋 (3)
二の丸庭園
大手門・高麗門の扉
お濠に佇むハクチョウ
遠くの方でももう1羽泳いでしました。
こっちの方を向いてくれました。
この後は、CDを買いに銀座の山野楽器へ。
おわり。