東京都心散策(46) ― 都心の庭園で散りゆく桜を愛でる ― |
今年は桜の開花が例年より早く、早く花見に出かけないと桜が散ってしまいそうだったので、先週の土曜日に都心に桜の写真を撮りに出かけた。(今日の時点で自宅周辺ではもうほとんどの桜が散ってしまって、この土日に市内で開催されている「桜まつり」が、なんだか「桜散っちゃったネまつり」という感じになっている)
今年はどこに行こうかと思案したが、今回は旧芝離宮恩賜庭園と浜離宮恩賜庭園に行って見ることにした(桜はすでに満開を過ぎて散り始めていたが、なんとか間に合ったという感じだった)。
まずは、浜松町にある旧芝離宮恩賜庭園から。
ぼくはこの庭園については名前を知っているくらいで、詳しいことはよく知らなかったが、リーフレットの説明によれば、「小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつで、典型的な「池泉を中心とした回遊式庭園」。この地はかつては海だったが、江戸時代の明暦(1655~1658年)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678)に老中・大久保忠朝の邸地となり、屋敷内に庭園を作り「楽壽園」と命名した。その後、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷に、明治4年(1871)には有栖川宮家の所有となったが、同8年(1875)に宮内省が買い上げて翌年に芝離宮となった。大正13年(1924)1月に、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開された」ものだそうだ。
とりあえず、中央にある大きな池(大泉水)の周りをまわりながら写真を撮ることにした。
旧芝離宮恩賜庭園で写真を撮った後は、そこから新橋方面に歩いて15分ほどのところにある浜離宮恩賜庭園へ。
浜離宮恩賜庭園についても名前を知っているくらいで、詳しいことはよく知らなかったが、リーフレットの説明によると、
「江戸時代には江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園。
承応3年(1654)、徳川将軍家の鷹狩場に、4代将軍家綱の弟の松平綱重が海を埋め立てて別邸を建て、その後、綱重の子・綱豊(家宣)が6代将軍になったのを機に、この屋敷は将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになった。
明治維新の後は皇室の離宮となり、名称は「浜離宮」に変えられた。
その後、昭和20年(1945)11月に東京都に下賜され、昭和21年(1946)4月から「浜離宮恩賜庭園」として公開された。」
ということのようだ。
中に入ると園内はとっても広く、どこから散策すればいいかよくわからない。ということで、適当に散策路をあちこち歩きながら写真を撮ることにした。
おわり。