東京都心散策(8)
- お茶の水 湯島聖堂 ~ 神田明神 ~ ニコライ堂 -

Walking in Tokyo No.8  -2011.07.11-

- Ochanomizu : Yushima-seido temple ~ Kanda-myojin shrine ~ Holy Resurrection Cathedral in Tokyo (Nikolai-do) -

Part 1:湯島聖堂

連休2日目の17日は都心を散策して写真を撮りに行くことにした。

どこにしようかといろいろ考えたが、新しく建った高層ビル群の都会的な写真もいいけど、同じようなのばかり撮っても飽きてしまう。そこで今回は歴史的な場所行ってみようと思って、Yahoo! の地図で適当に探していたら、たまたまお茶の水界隈が目に止まった。この辺りには「湯島聖堂」や「ニコライ堂」があるし、考えてみたら、僕はまだお茶の水界隈を散策したことがないので、今回はお茶の水に行ってみることにした。

この日も天気がよく外はとっても暑くて日差しが強く、帽子にサングラスという日差し対策をして出かけた。歩いていると汗が噴き出してくるんだが、台風がだんだん近づいてきていて週明けから天気が崩れるようなので、連休中に行くとしたらこの日に行くしかない。水分補給用に途中のコンビニでスポーツドリンクを買うのも忘れずに。

相模原駅ビルで昼食をとってから電車に乗ったので、お茶の水についたのは2時過ぎだった。駅を出たところに標識があったので、それに従ってまずは湯島聖堂に行ってみることにした。聖橋を渡って、東京医科歯科大学の横を通って 「湯島聖堂前」 と書いてある交差点を渡って通りを歩いたが、入口がなかなか見つからない。
「あれっ?」と思いながら周りをぐるーっとまわってやっと入り口を見つけた。

入り口の案内板を見ると入場は無料と書いてある。とりあえず門 (仰高門) をくぐって中に入ってみる。孔子廟に通じる小道を歩いていると、途中に孔子像が建っている。さらに歩いて行くとまた門 (入徳門) の前に出た。門をくぐって階段を昇っていくとまた門 (杏壇門) が現れた。この門をくぐると左右の回廊に囲まれた前庭に出て、正面に大成殿 (孔子廟) がある。ここに孔子が祀られているのだ。


案内板

説明板


石標柱

仰高門


孔子像

孔子像建立について記した石碑

孔子像の近くにある木 (楷樹)


入徳門①

入徳門②


杏壇門に向かう階段

杏壇門①


杏壇門②

杏壇門③ (内側から見たところ)


大成殿 (孔子廟) ①

大成殿 (孔子廟) ②

大成殿の入口が開いていたので、中に入って受付で200円を払って中を見てまわることにした (訪れる人が疎らなので、受付のおねーさんは暇そうだった) 。中では孔子関連の本が売られていたり、孔子ゆかりの品々が展示されている。掛け軸なども展示してあって何か書いてあるのだが、漢文で書かれているのでさっぱり読めないや。高校の時、漢文苦手だったからなぁ (大学入試の時も、理系なので漢文は共通一次試験だけだったから、てきとーにやっていたし・・・) 。

ここで湯島聖堂についてちょっと歴史のお勉強を。
元禄三年 (1690年) 、徳川五代将軍綱吉によって儒学の振興をはかるため湯島の地に聖堂が創建され、上野の忍が岡に林羅山が私邸内に造営した孔子廟と林家の私塾がここに移された。これが湯島聖堂の始まりで、その後、寛政九年 (1797年) に林家の私塾は林家の手を離れ、幕府直轄の学校として 「昌平坂学問所」 が開設された。昌平坂学問所には多くの人材が集まったそうだが、明治維新の後は新政府に引き継がれたものの、明治4年 (1871年) の文部省設置によって閉鎖され、その歴史に幕を下ろすこととなった。しかしその流れは、後の東京師範学校 (現在の筑波大学) や東京女子師範学校 (現在のお茶の水女子大学) の源流ともなった。湯島聖堂は大正11年 (1922年) に国の史跡に指定されたが、翌1923年の関東大震災で入徳門と水や以外の建物を焼失し、現在の聖堂は昭和10年 (1935年) に鉄筋コンクリート造りで再建されたものだ。
なお、構内にある孔子像は高さ 4.57m で世界最大のもので、昭和50年 (1975年) に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものだそうだ。

一通り見てまわったが、ここは緑に囲まれていて静かな佇まいで、都会のど真ん中なのに都会の喧騒を忘れさせてくれる。この後入口に戻って、事務所のような建物の前の小さなベンチで一服した後は、湯島聖堂のそばにある神田明神へ行ってみることにした。


入徳門に通じる小路①

入徳門に通じる小路②


昌平坂
左側の塀の向こうが湯島聖堂

昌平坂の説明板



Part 2:神田明神

神田明神は有名な神社なので名前は知っているが、具体的にどういうところかと聞かれると、「えーっと、・・・」 となってしまう。よくよく調べてみると、1300年近くの歴史を持ち、江戸時代には 「江戸総鎮守」 として将軍から江戸の庶民にいたるまで、江戸のすべてを守ってきた神社だそうだ。そういえば、江戸三大祭りの一つといわれる神田祭もここのお祭りだ。

とりあえず通りに面した鳥居から参道を通って中に入ってみる。境内をぐるーっと回ってみると、本殿の裏手の方には小さな神社がいくつも配置されている。これらの小さな神社のすぐ後ろにはビルが建っていて、ここが都会の真ん中だということを改めて認識させられる。


神田明神の鳥居

隨神門


本殿

狛犬

獅子山

この獅子山は、能の出し物 「石橋 (しゃっきょう) 」 にちなみ、「親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、這い上がってきた子をはじめて我が子とする」という内容を造形化したものだそうです。


小舟町八雲神社

江戸神社


浦安稲荷神社

三宿・金刀比羅神社


末廣稲荷神社

三の宮奉安庫 (鳳輦庫)

さらに進んでいくと、「銭形平次の碑」 なんてのもある。なんでTVの時代劇の主人公・銭形平次 (※) という架空の人物の碑が建っているんだろうと思ったが、後で調べたら、銭形平次が神田明神下の長屋に住んでいたという設定からこの碑が建てられたそうだ。
※正確には、野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公ですが、僕は原作は読んだことはなく、銭形平次というとTVの時代劇ということしか頭に浮かびません (まぁ、多くの人がそうだとは思いますが) 。


銭形平次の碑

銭形平次の碑の説明板

ひととおり見て回った後はニコライ堂へ。


Part 3:ニコライ堂

ニコライ堂も名前を知っている位で、全然知識がないが、後で調べたら、ニコライ堂というのは通称で、正式名称は 「東京復活大聖堂」 というそうだ。ここは日本ハリストス正教会 (日本正教会) の大聖堂で、ニコライ堂という名前は、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人司祭 (後の大主教) 聖ニコライにちなんだものだそうだ。青緑色のドーム型屋根が特徴のビザンチン様式の聖堂は異国情緒を漂わせる。


日本ハリストス正教会の正門

ニコライ堂

おわり。